一週間の暮らしと珈琲

珈琲や暮らしに関することを紹介します。

ブルマンの缶コーヒーがセブンで数量限定発売だ。

こんにちは。

このあいだ、「セブンコーヒーが変わった」という記事を書いたが、またまたセブンイレブンとコーヒーに関するはなし。

 

warattemite.hatenablog.com

 

2月6日に、ローソンでゲイシャが数量限定発売されたのを、逃して残念に思っていたところへ、おもしろい情報が転がってきた。

 

 

 

こんどは、セブンイレブンで数量限定の缶コーヒーが発売されたのだ。

その名を、「プレミアムボスブラックリミテッド」。

ブルーマウンテン豆100%使用のブラックコーヒーだ。

 

 

缶コーヒーにブルーマウンテン・・・

 

ローソンといい、セブンといいサードウェーブに乗っかて来たな。

「セブンコーヒーが変わった」の記事中に、コンビニはサードウェーブにはのらないでほしいと書いたが考え直すべきだ。

まさか、「リミテッド(限定)」という乗りかたをするとは想像が及ばなかったのだ。

 

これこそ、コンビニ流サードウェーブの形だろう。

 

 

 

缶コーヒーとしては少々お高い税込み324円。

だが、喫茶店でブルーマウンテンを飲めば、一杯1500円くらいはする。

豆の原価が、100グラムあたり2000円という高級豆であるから仕方ない。よほど景気が良い時か、自棄になっているときにしか飲めないような贅沢品である。

 

それが、324円で味わえるといわれたら買うしかなかろう。

もう、出遅れてゲイシャの二の舞にはなるまいと、早速、セブンイレブンへ行ってきた。

 

 

 

ホットとアイスの両方に対応しているようで、一本だけのつもりがそれぞれ一本買ってしまった。

 

 

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ごらんのとおり、高級感あふれるパッケージ。

 

冷めないうちに、ホットからいただきます。

ふたを開けた瞬間の、ふんわりと豆の香りが・・・

 

香りを飲むコーヒーと言われるだけのことはある。

せっかくなので、マグカップに注ぎなおして楽しむことに。

 

 

 

中煎りか、浅煎りか。

サントリーのプレミアムボスが、超深煎りの印象だから驚いたが、焼きすぎてはせっかくのブルマンも死んでしまうのだろう。おとなしい味だ。

 

 

とうぜんNO.1(ブルーマウンテンの中でも大粒のもの)ではないだろうが、なにしろ僕の舌がブルマンをよく知らないからスクリーンナンバーや、種類はよくわからない。

 

 

柔らかな酸味と、苦味の少ない口当たり、何より甘く華やかな山の香りが印象的だった。

 

 

 

 

 

 

日本人に人気のブルーマウンテンだが、この頃は評価が下がりつつある。

実際、ブルーマウンテン山脈でとれるブルーマウンテン豆の90%は日本へ出荷されている、つまり外国ではさほど高級豆として扱われてはいないのだ。

 

 

だからと言って、不味いのではない。明治時代の日本人の舌が受け入れたほど、日本人にとって飲みやすく美味しいコーヒーなのだ。

 

 

 

 

今回、いただいた「プレミアムボスブラックリミテッド」は、深煎りのキレに頼ったセカンドウェーブ的なこれまでの缶コーヒーとは違う、豆本来の味と優しさを重視した缶コーヒーだった。

 

正直にいえば、ブルーマウンテンとしての評価は決して高くない。

やはり、コーヒーとは豆の銘柄よりも鮮度や淹れ方の方が大切なのだ、ということを再確認した。

 

昔、書いた記事に「缶コーヒーの良さを語る」というのがあるが、そこでいったとおり缶には缶の楽しみ方があると思っている。淹れての腕と豆の質が最高の一杯を作り上げるカップで飲む本物のコーヒーのような、拘りと美味、雰囲気を楽しもうというのではなく。

 

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気軽に飲める、気張らない、変わらない味が、淹れてではなく、飲み手の心を味わうことができるのが缶コーヒーだと思うのだ。

そんななかで、高級志向の缶コーヒーは完全に受け身となっていい味を味わおうと努めてしまう。それが良い事なのかは測りかねているが、ひとつ新しいコーヒーの形が生まれたことは、喜ばしい限りである。

 

 

とはいえ、新しい風を感じさせてくれたサントリーセブンイレブンの試みは素晴らしいものだと思う。

これからも、リミテッド缶コーヒーが発売されることを期待している。

 

 

 

そういえば、ローソンでも10月1日に今度はブルーマウンテンの限定発売があるらしい。

ローソンは缶コーヒーではなくマシンによるその場での抽出だから、その違いもたのしみだ。

最先端技術とこれからの生活

日々、最新技術のニュースが目にはいる。

急速に時代が変化していくような感覚と、そのスピードに大切なことを見失ってしまいそうな感覚が平成という時代の終わりとともに、暴走しているようだ。

今朝も人工食肉の技術がすごい、という趣旨のニュースを読んだ。

 

テクノロジーが高まるにつれて人間の生活は便利になっていくし、新発明は環境や病気などの深刻な問題も解決する事例は多くある。それはいいことだろう。

 

しかし普及しすぎた技術は、問題を生んでしまうことが多々ある。

このあいだの仮想通貨問題がまさに技術の穴だ。

スマートフォンの普及が、一体どれだけの問題を引き起こしているか。電球の普及がどれほどの自然を破ってきたか。

原子力もそうだ。

 

最新技術のニュースがあるたびに、驚くと同時に副作用を心配してしまう。

それは世間も同じようで、車の自動運転システムについては、レベルで分けられてどのように取り入れようかと、慎重に討論している。

事故を起こしたときの責任の所在がどこにあるのか、という問題もある。

 

人工知能が活躍し始めている。彼等が人間の仕事を奪っていくと危惧されている。とうぜん、そうなるだろう。これまでも機械に任せられることは任せてきた、人工知能を使うことに躊躇するひともあるが、もはや手遅れなのだ。

AIは責任を取ることができない。時代は根本から変わっていくのだ。

 

 

最新技術の副作用は心配されるが、それでも技術力は加速度的に向上している。あらゆる分野で改革が行われている。

我々が時代の変わり目に産まれてしまったらしいことは、明らかだ。

 

こうなれば、前向きに新時代を迎えてやろう。

最近、面白いとおもった最新技術をいくつか紹介する。

 

 

 

・ドバイ警察の空飛ぶオートバイ

 

お金持ちの国、ドバイ。

誰もが高級車の一台や二台は持っているドバイでは、パトカーも高級車が使われている。ランボルギーニ、ブガッティ、シボレー、フェラーリマクラーレンアストンマーチンなど、抑えるべきところは抑えている。

そんなスーパーパトカーで有名なドバイ警察が、いま導入計画を進めているのは「空飛ぶオートバイ」だ。

 

その名を「スコーピオン」という、1人乗りのオートバイである。

4枚の回転翼が、ドローンを思わせる。時速約64キロで、25分間の飛行が可能だという。

交通渋滞のなかでも空から車を追い越して、目的地へ向かうことができる優れものである。

さらに、ドバイ警察は「ロボット警官」や「自動走行パトカー」などの最先端技術を取り入れることも発表している。

 

 

 

・浮遊発光装置

 

ルシオラ」と名付けられたその装置は、東大と慶応大の研究チームによって開発された。

ホタルのように、光を発しながら空中を浮かび移動もできる。発光ダイオードを内蔵した直系4ミリの半球状で、重さはたった16ミリグラムだというから驚きだ。

ビーム状の超音波を当てることで浮遊させるのだとか。僕には原理が分からない。

 

おもしろいのは、「無線給電」を使って電池を不用とすることで軽量化した点だ。

「ワイヤレス給電」とも言われるその技術は、最近スマートフォンの充電器としても登場した、置くだけで充電される装置にも使われている。

実は、「ワイヤレス給電」自体はすでに生活のなかで親しまれている技術である、電動歯ブラシや、コードレス電話などに搭載されているのがそれだ。

 

ところが、スマートフォンの充電器に使われているのは、これまでのものとは違う、新しい方法のワイヤレス給電システムなのだ。

この浮遊発光装置にも同じものが使われていると思われる。

 

ルシオラ」がこの先、どのように進化して生活に組み込まれるのか。街灯や広告は浮き、空飛ぶオートバイのような乗り物が普及した時には、空中に目印が必要になるだろう。そこで「ルシオラ」が活躍するかもしれない。

 

 

 

・インフルエンザの万能ワクチン

 

毎年苦戦するA型インフルエンザ。

今年は特に、何百万人という人がインフルエンザの診断を受けている。

毎年、今年はこの型が流行るだろうというウイルスを予想して、その型のワクチンを大量に製造する。

 

そこで厄介なのが、新型インフルエンザである。

A型インフルエンザウイルスは絶えず変化を繰り返すため、予想のしようがない新型が生まれる。そうなるとワクチンの開発と製造が追いつかない。

 

 

 

今回完成した万能ワクチンが、なぜ、変化し続けるウイルスに対応することができたのか。

 

実は、インフルエンザウイルスには、「頭」と「胴体」と呼ばれる部位があり、変化をするのは、主に「頭」なのだ。「胴体」の部分はトリでもブタでも、ほとんどのウイルスがほぼ同じ形をしている。

 

これまでのワクチンは、「頭」に対抗するものであったが、今回は「胴体」を標的としたワクチンであるために、ほとんどのインフルエンザに対応しているというわけだ。

 

 

 

 

3つだけ、最新技術を紹介したが、まだまだ驚くべきものが多くある。

個人的には、デカフェの技術には期待いている。

少し前までは、デカフェなど珈琲ではない、と言って頑として飲まなかったが、人に勧められて断れずに飲んでみたら、驚いた。

カフェイン99.9%カットだというのに、珈琲の香りに変わりはない。

味も、悔しいが美味しいと言わざるを得なかった。

 

ただ、どのデカフェ珈琲も似通った味わいで、苦味や酸味、風味という奥深さに、限界がある。

それでも、昔飲んだものより圧倒的に美味しくなっていた。

今後の進化に期待している。

 

科学技術は、副作用こそあれど使いかたとルールを守り、「アナログ」のメリットを忘れることなく適材適所で利用することができれば、おおきな問題も起こりにくくすることはできるだろう。

スマートフォンや、原子力のように、規模の大きすぎる革命には失敗は付き物である。歩きスマホによる事故や、こどもの課金問題、視力の低下や、ハッキングによる個人情報の流出などなど、新しいものが普及すると、予想していなかった問題が起きる。

 

これからの時代、それ以上に危険を伴う飛んでもない技術が生活に導入されるはずだ。今まで以上に気を付けて、複雑になる技術をできる限り、理解していることが大切なのだ。自動車に免許があるように、高い技術を扱うには、それなりの理解と規則が必要になってくる。

 

 

それを肝に銘じて、我々は新しい時代を前向きに生きていかなければならない。

 

セブンコーヒーが変わった

こんにちは。

セブンイレブンはコーヒーを変えたみたい。

 

レジ前にカップが置かれて、「NEW」と赤い字で書かれているところを見ると、これまでの変化とは一味違うらしい。

 

これまでは、こんなに大きく宣伝することもなければ、正直にいって変化も大したことはなかった。確かに変わってはいるが、セブンコーヒーの目指すコンセプトは変わらず少し深くなったり、コクが強くなったりする程度のことだった。

 

今回は「進化」というよりは、「改革」というべき印象をうけた。

 

僕は、カフェイン中毒が深刻なために、コーヒーは1日2杯までと決めている。

2杯しか飲めないコーヒーはせめて最高のものを飲みたいので、コンビニコーヒーはあまり飲まないのだが、セブンの自信ありげな宣伝にまけた。

 

 

 

「なるほど」

 

一口で、これまでのイメージを一新させる。

豆の量を増やしたのか、濃くなった。

キレッキレの苦味が「セブンイレブン」のブランド力を誇示するように効く。

 

 

たしかに、美味い。

美味いが、果たして戦略的に見て成功なのかは僕にはわからない。長年親しまれた味を捨てたこと、好みの偏る恐れのある深煎りのコーヒーは、おおきな挑戦だったはずだ。

 

コンビニに置いて最強の武器と言えるセルフコーヒーの改革が、セブンイレブンに必要だったのか。セブンが不調であるというのは耳にしていたが、コーヒー改革をするほどのことだったのか、日頃のセブンイレブンの挑戦的な姿勢であれば驚きはしないが。

とにかく、この改革がセブンにとって、良い方向に転がってくれるように願う。

 

 

 

サードウェーブの只中で、コンビニコーヒーのあるべき形は不透明だ。

 

シングルオリジンが求められるならば、100円でセルフというのは恐らく難しいだろう。

コンビニコーヒーは、サードウェーブを無視するべきだと個人的には思う。

 

 

断っておくが、僕もサードウェーブは大歓迎である。

だが、コーヒーというものが流行に染まるのはいやなのだ。所詮ウェーブだ。アメリカンコーヒーだってうまく淹れれば美味いし、ブレンドはコーヒーのおおきな楽しみのひとつである。「あの農園のこの豆」というようなものは、僕のようなコーヒー好きにとってこれ以上ない楽しみだろうが、好きな人だけが楽しんでいればよい。

 

 

今回のセブンコーヒーの改革が、戦略として、またコーヒー需要対策としてどう評価すべきかはわからないが、コンビニを代表するセブンイレブンのコーヒーの行方には気がかりであるとともに、楽しみだ。

 

 

コーヒーは、もっと多様な楽しみ方があっていいと思う。

サードウェーブという拘り思考が広まっているからこそ、大切にしたのは、コーヒーの多様性だ。

カフェラテを邪道とけなしてブラックに拘るのも構わないが、カフェラテが既にひとつのコーヒージャンルであることは世間が認めている。

アイスコーヒーやカフェオレ、コーヒーゼリーエスプレッソにカプチーノ、カフェモカ、カフェブラベ、コーヒーの形はまだまだある。

 

沢山の形をもっている飲み物なんて、こんなに素敵なものがあろうか。

飲み方だけじゃない、豆の品種や生産地もそうだが、焙煎法、抽出法にも多くの種類がある。

 

無限の可能性を持つ、「コーヒー」という飲み物は、世界中の人に愛されて全ての人が自分好みの1杯を見つけられるために進化を続けるだろう。

 

 

そのなかで、「セブンコーヒー」というひとつの形が突き進む道には、期待が高まる。

 

 

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義理チョコに学ばねば。

2月のイベントといえば、恋と涙のバレンタインデーだ。

 

ジャック・オ・ランタンが街から消えると、クリスマスカラーが街を覆い、それも消えると門松が立ち並ぶ。正月も暮れると鬼の仮面や豆、そして恵方巻

節分が終わるのを待たずして、街はチョコレートに埋め尽くされるのだ。

 

恵方巻の大量生産はやめにしよう」という動きがあったようで反響を呼んでいる。

と、同時にゴディバジャパンが2月1日に日本経済新聞に載せた、広告も話題になっている。

 

既に目にした人も多いと思う。

 

 

「日本は、義理チョコをやめよう。」

 

というものだ。

 

ゴディバジャパンへ拍手を送りたい。

毎年、街中を埋め尽くすチョコレートの山が、お菓子業界にどれだけの利益をもたらしたことか。

 

昭和30年頃、日本のチョコレートメーカーである「モロゾフ」が初めてバレンタインチョコレートを発売したことから始まる日本のバレンタイン文化は日本人女性の恋心の限り拡大を続けている。

 

しかし、拡大しすぎた文化は国民の色に染まっていくものである。

バレンタインに限ったことではない、言語や外来文化にはその現象が顕著にあらわれる。

ローマ帝国の時代に期限を持つバレンタイン文化は、いまや世界中に広まっている。チョコレートを贈る、というイギリス発祥の文化を基本として、国ごとに少しずつ異なる目的やルールはその国の国民性が映し出されている。

 

日本人の色に染まったバレンタインは、「義理チョコ」というものを生み出した。道徳の国ならではだろう。

これが広まると、「義理チョコ」は女性にとって「義務チョコ」となり、お菓子作りの得手不得手を問題とせず、気持ちの伴わないひとにチョコレートを贈ることを強いられる。

しかも送るのは異性へだけではない。むしろ女の子たちは同姓の友達同士で交換することが主だそうだ。

貰う方の男性としても、「義理なら貰わない方がいい」「お返しが面倒くさい」「手作りには抵抗がある」といった声が上がっている。

 

客観的に見てみれば、奇妙な文化である。

女性は気持ちもない贈り物にお金と労力を割き、男性は貰いたくもないものをもらってお返しに困る。

日本のバレンタインが、イカれていることは誰の目にも一目瞭然である。それでも拡大は止まらなかった。というよりは止められなくなったのだろう。これにより儲かっているお菓子業界ですら、これほどの規模の風習を止めようがなくなってしまったのだ。

 

 

 止めることができるとすれば、法律か戦争くらいのものだろう。

若しくは、ゴディバ

 

 

これほどの反響を呼んでいるのは、高級チョコレートメーカーのなかでも頂点に君臨するゴディバであったからこそのことであろう。

義理チョコ文化の廃止を言い出すのはチョコレートメーカーでなくてはいけなかった。それもゴディバほどのチョコレートへの愛と、拘り、実力、信頼、消費者への感謝が、整っていなくてはいけない。

それを、ゴディバは理解していたし、行動に移した。

そしてなにより僕が素晴らしいと言いたいのは、他のメーカーへの気遣いである。

 

 

この「義理チョコ廃止」の流れに乗り損ねたメーカーがあっては、国民からの評価が落ちる。それにお菓子業界で一致の意見であることを示すことが大切だったのだ。

 

あげる人が主役のバレンタインデー。

 

僕は、男だが毎年バレンタインには、手作りお菓子やケーキを日頃の感謝をこめて、お世話になっている女性へ贈る。

男のくせに、という人もいた。女子力が自分より高くて腹が立つと笑った人もいた。素直に喜んでお返しをしてくれる人もいた。

 

僕は贈物が好きなので、クリスマスや誕生日、バレンタインといったイベントは大好きだ。料理も好きだから、義理チョコだって楽しくつくる。

今回の広告をみてはじめて、バレンタインを嫌う人の多さに驚いたのだが、僕は今年もケーキのレシピをつくり終えているし、去年より美味しいと言わせてやろうと気張っている。

 

僕のような人がバレンタインを勝手に盛り上げているのかな、と悪い気もしたが「あげる人が主役」という言葉に救われた。

ただ、「お返しはいらない」と声をかけることを忘れないようにしよう。

 

感謝とともに贈ることが、義理チョコの定義に当てはまるのかわからないが、本命であっても義理であっても、あげるなら配慮を忘れてはいけないのだ。

なんだか、煙草の問題に似ている。吸うなら配慮を忘れるな。

お返しは日本人が大切にする心である。断ってもくれるかもしれないが、少なくとも一言「お返しはいらない」「無理しないで」と付け加えるだけでもらう方は楽かもしれない。

 

わざわざ日経新聞に載せたのは、もらう側の男性へのメッセージであるからだろう。

僕もまた男である以上、貰う側である。僕も含めて男性諸君にこそ、バレンタインに心を取り戻してほしいと願う。

 

 

 

日本の心が生んだ文化が、日本の心を失くしてしまった。 

我々は、バレンタインに学ばなければならない。

これまで、「義理チョコ」のために苦しんだ女性たちのためにも。

先陣切って廃止を訴えてくれた、ゴディバジャパンのためにも

月が照れている。

昨夜は、スーパーブルーブラッドムーンであった。

 

あちらこちらで、これについての記事が上がっているので、よそうかと思っていたのだが、あまりに月が見事だったので感動を共有したくなってしまった。

 

この現象について詳しい説明はよそ様の記事に任せるして、このブログでは、僕の主観から素直な感動をお伝えしたい。

 

月の欠けはじめから、赤く染まり切るまでを自宅のベランダからカメラを構えてみていた。具合よく邪魔な建物や雲もなく、よくみえた。寝間着にコートを羽織ってマフラーを巻いていたが、それでも真冬の夜は耐えがたい寒さである。

おなじように、ベランダから空を見上げている人がいることが話し声で分かった。彼等もまた、35年ぶりのレアな月を見おさめてやろうと、震えていただろう。

 

満月は、立派なものだった。

 

僕は、空や月や星なんかの観察が好きで、普段から月の満ち欠けをいつでも気にかけてたし、満月の日は、この暮らしにおける楽しみのひとつであった。それは、給料日のちょっとした贅沢や、新しいコーヒー豆を買いに出かけるのと同じようなものなのだ。

 

1月2日のスーパームーンにも、感動した。

 

一年で最も月が地球に接近するスーパームーンは、地球から約36万キロ離れている。

地球を赤道で一周すると、約4万キロというから地球を9周するのと同じくらいの距離という計算になる。

そう言ってみると意外と近いようにも感じるが、やはり馬鹿げた距離だ。

 

月は、神秘的である。いまNASAやらJAXAやらそういう機関が、月のヒミツを暴こうと競走しているが、それが分かっても僕にはどうか言わないでほしい。

確かに、気にはなる。裏側がどうなっているのかとか、生物が生息しているのかとか。都市伝説や神話、昔ばなしにSF作品、多くの人が思いをはせて、月を眺めている。僕もまた、想像してみるのだが、真実を知りたいかと聞かれれば、違う。

 

ヒミツが暴かれて、どんな驚きの事実があきらかになっても、きっと慣れてしまうのが怖いのかもしれない。恋が冷めてしまうような気がするのだ。

 

 

そんな、恋人のような月が、昨夜は赤く染まった。

 

それは、35年ぶりのデートのために用意したドレスなのかもしれない。

あるいは、着替えを見つめられて恥じらっているのか。

はたまた、酔っぱらっているだけなのかもしれない。

 

いずれにしても、普段は見せない姿だった。

 

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満月が欠けきったとおもったら、途端に赤らみ、闇夜も少しだけ赤くなった。

 

そういえば、僕は月を女性と思ってみているらしい。

かぐや姫の影響かもしれない、月の神秘性が女性のヒミツに似ているからか、ただ月が優しいせいかもしれない。

 

どんなものにでも、感情や人格を与えてしまうのは人間の癖なのだろう。

空や消火器は男だし、瀬戸内海やブラックホールは女である。

 

 

月が赤に染まると、なぜだか目を背けたくなった。

 

勿論よく見たし写真も撮ったのだが、月に悪いような気がしてきたのだ。世界各地で彼女を見上げている。写真を撮っている。けれど月はそれを望んではいないような気がしてしまった。

 

珍しいとはいっても月と地球と太陽が誕生して以来、もう何度も同じ現象は起きているのだろう。月と地球は徐々に離れているというから、大昔には同じ現象はなかったかもしれないが。少なくとも、この1,2億年のあいだには何度もあっただろう。

 

だけど千年前に同じことがあったとしても、人々は予測していなかった筈である。月の方も告知などしないだろうし、突然満月が欠けて赤に染まる。月は本当は人々の暮らしを乱したくはなかったのかもしれない。

しれっと、普段と変わらない暮らしの上で、たまたま見上げた人だけが驚いて褒めてくれればよかったのかもしれない。これではまるでアイドルかモデルである。

 

そんな気がしたから、一枚だけ赤く染まった月を撮影して肉眼でも、すこし眺めてから部屋へ戻ってしまった。

 

照れているのか酔っているのか、着飾っているのか僕にはわからないけれど、

美しかった。

 

 

「オトナ」と「大人」

おはようございます。寒いです。

昨日は、東京で-4℃が記録されたとか。48年ぶりだそうです。

 

東京付近のこども達は雪合戦したり、雪だるま作ったり、かまくら作ってみるけど失敗したり、忙しそうでした。ベビーカーに乗ってた女の子は、初めて見る雪にたまげてキョロキョロ落ち着かない様子。

 

 

どうやら、いま文芸社が第14回絵本大賞をやっているらしい。それを新聞で知ってから日か経ってますが、僕も書いてみよう、と思いながら何も具体的にはならないままでいます。

 

雪にはしゃぐ彼等を見てたら、うっすらと自分の幼い頃の考え方とか、モノの捉え方なんかが、ふわーっと、見えかけたけど捕えきれず。

 

 

大人になっちまったんだなぁ

 

 

と声に出してみると、「大人」というワードに違和感がある。なにか変だぞ。

 

ああ、そうか。

大人って、あの「オトナ」か。

 

こどもの頃、見ていたあの謎の生物「オトナ」。

でかくて、支配者で、なんでも知ってて、お金をたくさん持ってて、見張ってる。

ヘンテコな生き物、オトナ。

 

微かに、こどもの世界を思い出しました。

きっと、自分の子でも持てば、もっと鮮明にこども心を思い出せるのかもしれませんね。

 

 

 

絵本を書くには、こどもの世界を思い出さなくてはならない。

でも僕にもまだ、こどもらしい部分があって、ビジネスくさいことが苦手です。

 

文章を書く仕事をしていると、ビジネスくさい文章を求められることがあります。

それが嫌で葛藤している時には、こどもだな、と感じます。

 

ビジネス文章なら抵抗はないんですが、いやに下心を隠すようなのは嫌いですね。

 

 

尾崎豊さんの「時」という曲にこんな歌詞があります。

『僕はあの頃より 少し大人に憧れてるだけさ』

 

歌詞を載せるのは、著作権の問題でいちいち緊張するから嫌ですね。(笑)

 

この歌詞のような分岐点は

誰にも、ある感覚なのではないでしょうか。

ある時から、オトナが大人に変わる。

 

こどもの世界の終わりって、そこだったのかなぁと思います。

 

 

オトナという生物の存在を思い出すと、あの頃考えていたことも、少しずつ思い出してきました。

 

100の次の数字は、0か、1か。

雨の降るのは、神様が泣いているのか、鬼がいたずらしているのか。

ほんとうは、自分以外の人は空っぽの幻想なんじゃないか。

お味噌汁の中の箸はどうして曲がるのか。

何もないというのは、真っ白か、真っ黒か。

 

様々な疑問が沸くと同時に、多くの事を観察し解明するのは嬉しかった。

いまでは、あの快感はドーパミンのせいだと知っているが、当時はそんな余計なことは考えすに喜ぶことに専念したものです。

 

真っ白と真っ黒の闘いは、どっちでもないという結論に至ったような気がします。

 

はじめは何もない宇宙が真っ黒だから、黒だと考え至ります。

ところが、まてよ宇宙があるせいで黒いのだ、と考えました。すると宇宙がなくなると真っ白になる。といのが二番目の結論。

またまたところが、そこには真っ白があることに気づきます。色を見て比べる人がいないのだから、色なんかない。

と落ち着いたと記憶しています。なんてどうでもよいのでしょう。(笑)

 

 

バネの仕組み、扉の仕組み、そんなことを見破っては誇らしくなっていましたね。

とくに、自転車がどうやって動くのかには、多大な時間と労力を費やしました。

 

そんな風に地道に一つ一つの謎を暴きながら育っていく。

オトナに聞けばきっとわかることだというのは、当時も分かっていましたが、それはプライドが許さなかったのです。

 

 

他にも、いろんなことを面白い目をもって見ていたような気がします。

こども心を思い返してみて、笑った朝でした。

 

 

 

アカトンボ

記事が書けなくて、イライラしていました。

散歩へ行こう。

 

秋色の服をきて、首には、カメラを。

 

玄関の扉を開けると、風が僕を笑った。

 

「なにを、難しい顔をしてさ」

 

そう言うけれど、優しく頭を撫でてくれる。

秋の風。

 

 

 どどどどど・・・・・・・

 

 

 

ヘリの音は、空っぽのそらに良く響く。

 

 

ピー ピー ピー ピー

 

 

トラックがバックします。

 

 

 

今日も、この街は平和です。

缶コーヒーを飲みながら、ベンチに座って休んでいたら、

 

 

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アカトンボ。

 

 

仕事しなくちゃ。